柴ちゃん。

柴ちゃんとは中学3年のとき一緒のクラスになった。




「あいつ美人やけど、声聞いたことない。」




男どもが口をそろえて言っていたこと。
それくらい大人しい女の子、そしてものすごく頭の良い女の子。
おれは柴ちゃんが好きやった。




思い返してみれば、あの頃のおれはほんまに救いようの無いアホやったと思う。




学校の裏門に生えた大きな木の上に登り、カラスの巣から卵を盗み取り
おれはこれを孵化させるんや!カラスの家来が欲しいねん!
と、数日ポケットの中で温めてみたり。




担任の先生の車のボンネットの上でシャチホコを扮した自分の芸術写真を撮り、
その写真が廻り廻って先生の手元にいってしまい、卒業後にアルバイトをして
車の修理代を稼ぐハメになってしまったり。




でもそんなおれの奇行の数々を、柴ちゃんは笑ってくれたから。




まともにしゃべったことないけど、プリントを渡すとき、柴ちゃん。って呼んだ。
馴れ馴れしいおれに、ときどき返してくれる笑顔、ほんまに好きやった。




卒業式の日、柴ちゃんの写真を撮った。
盗み撮りだったのか、ちゃんと断って撮ったのかは覚えてないけど
写真の中で、グレーのマフラーをした柴ちゃんは、振り向きざまの態勢でバッチリ笑顔やった。
柴ちゃんの態勢から推測すれば、おそらく写真は盗み撮りやったんやろう。




あのとき、柴ちゃんはおれに何か言いかけたような気がしたけど、それは妄想かもしれない。
思い出っていうものはそういうもんだ、きっと自分勝手なものなんだ。
おれは気持ちを打ち明ける勇気もなく、そそくさとその場を立ち去ってしまった。




高校1年生の夏、関大前なか卯でアルバイトを始めた。
数ヶ月は車の修理代でタダ働きやったけど、わりと長いあいだ続けた。
アルバイト仲間の関大生兄貴たちについてまわり、色んな文化を吸収した。
たぶん今のおれのベースの半分は、この日々の中で形成されていったんやと思う。




3ヶ月くらい経って、通りの向かいに吉野家ができた。
同じ牛丼屋やしこりゃやべーなと偵察に行くと、吉野屋の帽子をかぶった柴ちゃんを見つけた。
盗み撮りの卒業式以来の柴ちゃんに話しかける勇気がおれには無かった。




数ヶ月が過ぎた或る日のこと。
誰一人客のいない、おれ独りの空間のなかに、柴ちゃんが入ってきた。
柴ちゃんはまっすぐ迷いなくおれの目の前に座った。
とても大人っぽい笑顔だった。
そして柴ちゃんは確かに瞳をこちらに向けて、確かに唇を動かしていた。




たぶんなにか会話したんやと思う。
でも何を話したのか、柴ちゃんの声がどんなやったのかも、思い出せない。
とにかく目の前の柴ちゃんに圧倒されて頭がまっ白だった。
その時間がどのようにして終わったのかも、思い出せない。



なんなんやろう、いっつもくだらないことばっか覚えてんのに。
あの柴ちゃんとの時間のことは、ずっといつまでも覚えておきたかったことのはずやのに。



それから数日後の深夜やったと思う。
大きなカバンを持った柴ちゃんが吉野屋から出て行くのを見た。




柴ちゃんの大人っぽさは、だれかとどこかへ駆け落ちか心中でもしに行くような
そんな大人っぽさだった。




その日以来、柴ちゃんを見つけることはできなかった。




柴ちゃん、どこで何やってるんやろう。
頭良かったから。
おれの妄想の中で、今頃はNASAで火星のテラフォーミングの準備を始めている。




昨日、小学校中学校高校と一緒だった腐れ縁の友達から久々に連絡があって、
プチ同窓会計画しようってことになった。


柴ちゃん絶対呼べ、と言っておいた。